Mamiyaflex Junior
二眼レフ大国であった日本で、最後まで二眼レフを生産し続けたメーカーマミヤ。そのマミヤ初の二眼レフが、当機マミヤフレックス・ジュニアだ。
エルモフレックス1型などの戦前継承組を除けば、1948年発売は二眼レフの中ではかなり早い部類。上下レンズのギア連動式採用は、後に大ブームを巻き起こしたリコーフレックスよりも先であった。
質実剛健のマミヤらしからぬ梨地の飾り板が特徴的。
上下レンズギア連動式のスタイルから一見安価な普及機に見えるが、巻き止め機構を持ちテイクレンズ・ネオコンも4枚構成の中級機ともいえる仕様。開発が先行していたオートマットAのダイカストボディを流用したとのことでカメラの剛性も非常に高い仕上がりだ。
シャッターは自社製(世田谷工場)で、ネオコンレンズは東亜光機製とする資料とシャッターと同じ世田谷工場製とするものなどがあるが、実際は昭和21年6月にオリンパス出身者10名で発足したマミヤ世田谷工場の前身「東和光機製作所」製のとのことだ。
この貴重な情報はマミヤの技術者だった方から直接ご教授をいただいた。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
スタミナと名付けられたシャッターは、「B」を境にして低速側と高速側に速度が振り分けられている珍しい仕様。最高速が1/300と1/200までのバリエーションがある。レリーズは右側面のレバーで行う方式。
フイルム装填時カウンターは1で止まっているので、一枚目のみを背面赤窓で確認しての撮影。以降は、巻き上げノブ脇のボタンを手前側にスライドさせてから巻き上げれば自動で巻き止めが効く方式。二重露光防止機構は装備していない。
次代のマミヤフレックス1型は、当機と同じ上下レンズギア連動式の仕様ながらセルフコッキングを実現。上下レンズギア連動の二眼レフで、セルフコッキングというのも他に例がないのではないか。その後も廉価版赤窓機を発売しなかったのは、独創的な機構で多くの名機を生んだマミヤらしいと言えるだろう。
当機は、生産開始ごく初期に赤窓式のものが存在したようで、巻き上げノブが掲載機よりかなり低い位置にあるモデルも存在するようだ。共に資料での確認のみで実機を見たことは無く、かなりの希少品かと思われる。また、巻き上げノブにオキュパイド刻印のあるモデルもある。
マミヤフレックス ジュニア オリジナルデータ表
- メーカー 生産国 生産年
- マミヤ光機(マミヤOP) 日本 1948年
- ビューレンズ
- Towa Koki 無銘 75/3.5
- テイクレンズ
- Towa Koki Neocon 75/3.5 東和光機 ネオコン
- 絞り 絞り羽根 最短撮影距離
- 3.5~22 9枚 3.5ft
- フード取り付け
- 28.5mm・36mm被せ式
- シャッター
- Stamina B・1・2・5・10・25・50・100・200・300
- シャッターチャージ
- 独立式
- レリーズ
- 右側面レバー 押し下げ式
- 巻き上げ 巻き止め
- 右側面ノブ 1枚目のみ赤窓 以降自動
- ピント合わせ
- レンズ回転式
- スクリーン 視差補正
- 通常 補正無し
- 内面反射対策
- 無し
- フイルム送り
- 下→上
- 実測サイズ 三脚ネジ
- H134×W81×D98mm 935g 小ネジ
- データ表の見方
部分拡大画像&ポイント解説
管理人の戯言
掲載のマミヤフレックス・ジュニアは、巻き上げノブのプレートが失われていたので革で埋めてあります。オキュパイド銘板だったので外されたなんてことも無いでしょうが。
時代ゆえ素材の質があまり良くなかったようで、部分的な腐食や錆の発生、塗装の劣化といった固体が非常に多く見られます。加えて、マミヤ初期の二眼レフは外革が薄めで劣化してるものが多い印象。掲載機の外観も高画質でお見せ出来る状態ではありませんが、機構は全て快調に動作しています。
なお、この掲載機には本文中のマミヤの技術者の方との後日談があり、twitter上でのやり取りを「63年前に作られた二眼レフ」にまとめました。60年以上前に「このカメラを作った」方との邂逅の記録です。
- 独断の5つ★(平均が★★★・☆は0.5換算)
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- 人気度…★★
- 使いやすさ…★★☆
- 見つけやすさ…★★☆ 赤窓モデル★