Minoltaflex I
1937年発売の、国産初の二眼レフと言われるのが千代田光学精工製の当機ミノルタフレックス1型。実際の発売は2ヶ月ほどプリンスフレックス(Princeflex)に後れを取ったようだが、カメラとしての完成度と販売数では上を行った。戦前の国産二眼レフとしては、現在の中古市場で見かける頻度がかなり高い機種でもある。
初代ミノルタフレックスの上部は、ピントフードの意匠やルーペを始め、背面のフード折りたたみ時のロック機構からネームプレートの仕上げに至るまで、非常に強くイコフレックス2型の影響を受けたものになっている。
ただ、機構的には単なるコピーにとどまらず、国産二眼レフ黎明期の製品ながら巻き止めや二重露光防止の機構を実装したのが特徴的である。
フイルム装填は底部赤窓で一枚目を確認して、巻き上げノブ上下にあるボタンを同時に押すとカウンターに1が出て撮影状態に。以降は自動巻き止めが効くので、レリーズ後は上側のボタンを押して巻止めを解除して巻き上げる。
シャッターには独自方式を採用し、チャージレバーでのレリーズも可能だが、側面のレバーでシャッターを切った場合は二重露光防止機構が働き、フイルムを巻き上げるまでレバーはロックされるという凝った仕様だ。
自社製の最高速1/300秒クラウン2シャッターの他に、コンパー付きのバリエーションモデルもあるようだが実機が市場に出ることは極めて稀。戦前モデルながらピントルーペは大型で視野は広く、ビューレンズも僅かに明るさを確保したF3.2の仕様のためピントの山も十分掴める。なお、ピントフードのロゴも掲載機とは別のものがあり、「CHIYOKO」ではなく「TIYOKO」銘で黒ベースとなっている。
ノンコーティングのテイクレンズ・プロマーは旭光学(ペンタックス)製とのことで、クランク巻上げのオートマットにも採用された評価の高いテッサータイプ。旭光学は最後まで二眼レフを生産しなかったが、レンズの供給で二眼レフとの接点があったということになる。
次代機ミノルタフレックス・オートマットは、元々数が少ないうえに良質な鋼材が軍需用に回されたためか、良好な状態を保っているものは非常に少ない。
ミノルタフレックス1 オリジナルデータ表
- メーカー 生産国 生産年
- 千代田光学精工(ミノルタ) 日本 1937年
- ビューレンズ
- Anastigmat 75/3.2 アナスティグマット
- テイクレンズ
- Promar Anastigmat 75/3.5 プロマー アナスティグマット
- 絞り 絞り羽根 最短撮影距離
- 3.5~25 10枚 0.8m
- フード取り付け
- 28.5mm被せ式
- シャッター
- Crown II B・1・2・5・10・25・50・100・300
- シャッターチャージ
- 独立式
- レリーズ
- 右側面レバー 押し下げ式 チャージレバーでも可
- 巻き上げ 巻き止め
- 右側面ノブ 1枚目のみ赤窓 以降自動
- ピント合わせ
- 右側面ノブ
- スクリーン 視差補正
- 通常 補助線縦横各1本 マスク補正
- 内面反射対策
- 円筒
- フイルム送り
- 下→上
- 実測サイズ 三脚ネジ
- H135×W75×D98mm 865g 小ネジ
- データ表の見方
部分拡大画像&ポイント解説
管理人の戯言
ミノルタフレックスに限らず、この時代のものはその保存状態が第一でしょう。側面のレリーズレバーに不具合が多く見られるようで、カウンターリセットの戻りがスムーズかも要確認です。当機も入手時セクタ羽根の固着とレリーズ連動不良でしたが、きれいな固体だったので久々に緊張+集中して修理した記憶があります。
歴史を紐解くと、ミノルタの源流である日独写真機商店創業に携わったドイツ人二人が、ミノルタフレックスのライバルとなった初代プリンスフレックスにも大きく係わっているといった逸話もあります。
- 独断の5つ★(平均が★★★・☆は0.5換算)
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- 人気度…★★
- 使いやすさ…★★☆
- 見つけやすさ…★★★